ミキティの部屋

もし、今の夫と結婚していなかったら?

MT さんからこんな質問をいただきました。

「もし、えいちゃんと結婚してなかったら?」

「お似合いのお二人に
酷な質問ですが、
美人で、仕事もバリバリの
ミキティさんの
もしもシリーズ
聞いてみたいです」

(zoomで自分の顔を
まじまじと見なきゃならない
機会が増えて

やっぱり
年齢には、逆らえない部分
あるよね~って

正直思うことも
多いなか

「美人で」などと
優しく言っていただけると
自己肯定感、上がりま〜す。
ありがとうございます!)

もし現在の夫、えいちゃんと
結婚していなかったら
今どんな人生を生きているんだろう?



たぶん、
ごく普通の主婦だったんじゃないかな?
って思います。

今年61歳ですが

この年齢から
勉強して
ゼロから新しいライフワークに
夫66歳と2人で
挑戦する
なんてことは
まず絶対にあり得ないし

(そんな夫婦、激レアだし~
激アレ、な感じもするし~)

専業主婦から
頑張って
教員になることも
やっぱリなかったな。

これがホントに
正直な思いです。

「人生をワクワク楽しく生きる
大人を増やすこと」
「これがわたしの
ミッションで~す(^^)!」

なんて
見方に寄れば
かなり

「なんじゃ、それ?」

的なことを
口にすることも

きっと
なかったと思います。

つまり
今の夫、えいちゃんと
結婚していなかったら

今のわたしラシサは
カケラも存在
していなかったなぁ。。。

アレコレ
過去を振り返る中で
こんな風に感じる
きっかけとなった
エピソードを一つ
見つけました。

わたしは当時31歳。
英語の教員になるべく
大学院に通い始める
3年も前のこと。

上の子が1歳
下の子は産まれたてのゼロ歳でした。

実は
「大阪ガス インテリアスクール」
という学校に

週に一回、一年間
通った経験がありました。

もうはるか昔の出来事で
わたしの記憶の中では
ほとんど

「触れたくないヤバい過去」

という位置づけで
抹殺されかかっていた
エピソードです。

「大阪ガスインテリアスクール」
ってかなりの名門で
授業料も。。。
結構しましたし~

もちろん子供たちは
まだ、保育園にも
行かせてませんでしたから

週に一度
シッターさんを雇って
子供たちのお世話をしてもらう
という事までして
通学しておりました。

スクールの授業料は
なんとか
自分の貯金から
捻出したのですが

毎回のシッターさん代までは
出すことが出来ず
(専業主婦だもの~)

夫に相談して
彼のサラリーから
出してもらっていました。






「なんでインテリアスクール?」
って、自分でも
突っ込みたくなります。笑

しかも産まれたての子供2人のために
シッターさんまで雇って

普通のサラリーマンだった
夫のお給料から
毎月払うわけですから

これはかなりの
負担に違いなかったと思います。

でも夫からその点について
なんだかんだ言われることは
一回もありませんでした。

それだけの負担をかけて
自分にも圧をかけて
わたしが突然
インテリアスクールに通い出した理由は。





「わたし、きっと
インテリアコーディネーターとして
すんごい才能あるに違いない」

という
全く何の
根拠もない自信。

「学校に行って資格さえ取ったら
モンのすごい
人気インテリアコーディネーター
になって
世の中を
闊歩できるに違いない」

というフツフツと湧いてくる
根拠のない
「自信」
のなせる技でした。


その自信はどうなっていったのか
と言えば

「アレ?こんなハズじゃ?
わたしの作ったコラージュ
ぜんぜ~ん
センス良くない。。」

「アレ?オカシイ
図面、ぜんぜん上手く引けない。。」

「だいたい線も真っ直ぐ
引けない~」

という挫折の連続で。

それでも何とか一年間
学校に通い続け
見事卒業
までは出来たのですが

さすがにコーディネーターとして
就職という
もともと描いていた
夢は叶わなず。

(と、いうより本音では
コーディネーターとして
働きたくないって
思うようになっていました~)

だけど、子供2人は
4月から保育園に行くことが決まっていて

「どうしよう
さすがにどこかで仕事しないと
子供たち
保育園から追い出される~」

という危機感から
慌てて新聞の求人広告を広げ

「コレだ~っていうか
もう何でもいいや~」
って感じで
飛びついたのが
ECC 尼崎校の講師募集
だったんです。





そんなドタバタの大騒ぎの中
思い返せば
夫からは
文句をひとことも
言われなかったな。

「アレだけお金もかけて
時間もかけて
アレだけ
『自分はインテリアコーディネーターに
なりたい』
って言って。
何だよ、コレ」

って言われた記憶は
全くありません。

もしわたしが反対の立場だったら
そんな妻に対して
思わず

「何やってんだよ」
とか言っちゃったり

「ここまでやったんだから
コーディネーターとして
就職するべきだろ」

なんて
言っていた可能性
大いにあるな。。。

わたしが
ここで縮こまらず
その後コリもせず

「やっぱり主婦でも
大学院行っちゃう!」

などと、のたまって
自由に行動出来たのも

あの時の夫の
広くて深いヤサしさが
あったからだなって
思います。

夫には本当に感謝です。

そしてわたしのこんな経験から
今感じることは

「コレ、
わたしのライフワークに違いない
やってみよう」

って挑戦して
もし途中で

「アレ?コリャ違うかも。。」
って思っても

それはそれで
すごく価値のある
経験なんだなって思います。

わたしの場合
もしあの時
インテリアコーディネーターに
挑戦していなかったら

今でも
「わたし、ホントはきっと
コーディネーターとしての
才能が
すごくあったに違いない」

と心のどこかで感じていて

大学で英語を教える難しさに
直面した時や

夫とのライフワークが
なかなか前に進まない時

「あぁ、やっぱり
インテリアの方に進んでいれば
良かった」
って

いつまでも
いつまでも
自分に言い訳する人生を
生きていたように
思います。

直感って
外れる時もあります。

その直感が
本当に受けるべき
インスピレーションなのか

それともただの
思い込みなのか

それが分かれば
無駄のない人生が
歩けるかも知れません。

でも
「あ~, やっちまった。
コレ、無駄だった」
とか

「アレ?
もしかして、この道違う?」
って

体験する時間こそ

後から振り返れば
大きな意味を
持っている
特別なギフトなのかも知れません。

振り返れば
結婚前
夫の写真を初めて見た時

 

なぜか
「わたし、この人と結婚する」
って両親に宣言した
記憶があります。

あの時のわたしの
直感は正しかったし

「わたし、インテリアコーディネーター界の
スターになる!」
なんて言ってたのは
とんでもない
思い込みだったけど

直感が
単なる思い込みだった!
ってわかった時には
いつだって違う道に
シフトできます。

だからやっぱり
勇気を持って
その時信じた道を
歩いて行きたい。

そんな風に感じています。

M.Tさん
素敵なご質問を
ありがとうございました!

 

運命からの招待状

YA 様からこんな質問をいただきました。

ミキティ34歳のときの新しいチャレンジをスタートするきっかけとなった出来事や、
背中を押してくれた言葉などあれば、お聞きしたいです。

ありがとうございます。

では、もう27年前のこと、

わたしが
大学院にチャレンジするきっかけになった出来事を
思い出して書いてみたいと思います。

当時のわたしは、専業主婦から
ほんのちょっと抜け出し始めていたところ。

自宅で子供英会話教室を開いたり
週に2回は
ECC英会話学校の小学生クラスや中学生クラスを
尼崎や天王寺まで教えに行くようになっていました。

夫の社宅のあった西宮の武庫川団地から
尼崎校までは阪神電車ですぐでしたが

天王寺校は、と〜っても遠く
わざわざ1コマを教えるために

ものすごい時間をかけて
通っていました。

それでも当時は
「須藤さんの奥さん」や
「テルちゃんママ」「みかちゃんママ」だけではない

自分になれたことが嬉しくて
ルンルン気分で
天王寺まで通っていたように思います。

ただ

小学生や中学生クラスがあるのは
夕方から夜にかけて。

年子の息子と娘を
保育園に預けていたので

授業のある日は
夫にお迎えを頼むか
近所の友人に謝礼をお払いして
お迎えをお願いしていました。

こうなると

ECCからもらうお給料などは
影も形もなくなって・・・

「なんとか、午前中のクラスが持ちたい!」

というのが
当時のわたしの悲願でした。

だけど

大学で英語を学んだわけでもなく
留学経験があったわけでもないわたし。

どうしたらいいのか
自分だけでは
あまり良い知恵も浮かんできませんでした。

いろいろ考えて

同僚の先生たちに
聞き取りを始め

そこで知ったのが
当時は大変珍しかった
大学院の社会人枠。

同志社大学院のアメリカ研究課で
勉強中、という同僚の話を聞いたり

関西学院大学の英文科まで行って
話しを聞かせてもらったり。

(この時のアウェイ感は、
ハンパなかったな〜泣)

自分なりに
どうしたら午前中のクラスを持つ
実力をつけることができるのか
真剣に探っていたのですが

どうにも日本の大学院は
敷居が高すぎて

「わたしなんか、
とっても無理そう〜」という

気持ちだけが膨らんでいました。

そんなある日のこと。

天王寺校の授業が終わって
講師室で帰り支度をしていたわたしに

一人の外国人教員が
話しかけてきたのです。

(当時のわたしは
外国人教員と英語で話す、なんて
と〜んでもない!
っていうレベル。

急に話しかけられて
正直、かなりビビりました〜)

今でも忘れられないのが
その時、彼の言った一言。

“さっき、廊下から聞こえたんだけど
ノルウェイの発音、ちょっと違ってたよ。
Norwåyじゃなくて Nørway だよ“

・・・・・・赤面・・・・・・・・・・

穴があったら、入りたい!

でも、

“Oh, thank you very much.”
くらいは、言ったのでしょうか。。。

その後
ちょっと落ち着いて

精一杯の
つたない英語で話してみると

彼はすごく感じのいい人。

発音の間違いをわざわざ教えてくれるのも
やっぱり
ありがたいじゃあ、ありませんか。

と思ったわたしは
気がつけばいつの間にか

彼の隣に座り

自分が今
大学院に行こうかどうか悩んでる
なんていうことまで
話をしていたのです。

その時彼が教えてくれたのが
Temple大学 大学院大阪校。

彼の同僚は、そこを出て
大学の教員になったとか。

他にもその大学院を出て
高校の専任教員になった友人とか
いっぱいいるよ、

なんてことまで教えてくれたのです。
しかも、必要なのはTOEFLの点数だけ、とのこと。

日本の大学院のしちめんどくささが
まるでない!

「じゃあね、今日は本当にありがとう」
ってECCの講師室から出る頃には

「こりゃ、Temple, 絶対行こう!」
って決めていたわたし。

当時はパソコンもなく
電話帳で住所を調べ
電話で問い合わせ
資料を郵送してもらって

授業料が高いから
在宅でできる
文字起こしのアルバイトにも応募して

それから数ヶ月もしないうちに
最初の授業を取っていた、

というわけです。

“さっき、廊下から聞こえたんだけど
ノルウェイの発音、ちょっと違ってたよ“

この彼のひと言が、
わたしにとって

とっても大切な
チャレンジのきっかけ。

「運命からの招待状」だったと
今になって思います。

名前も顔も全く思い出せないんだけど
(ごめんなさい!)

彼のちょっとした親切心がなければ
Templeの存在自体、
知るきっかけがあったのか、
なかったのか。。。

そう考えると
不思議な気持ちになります。

あなたの人生にも

「運命からの招待状」は
きっと届くと思います。

「これだ!」って思った自分の
直感を信じて

勇気を持って
その封を開けた瞬間から

運命が大きく動き出す。

人生って
そういうものかも知れませんね。

ミキティの部屋をオープンします

こんにちは。

これまで「ミキティ&えいちゃん」として

夫のえいちゃんと、常にタッグを組んで活動してきましたが

この度、

「人生というワクワクの冒険旅行へあなたをいざなうメンター・ミキティ」

として個人でも活動を始めることにしました。

今後は、ライフワークやパートナーシップに悩む女性応援として、

  -個別メンタリング・セッション

 -SIQ カード・リーディングセッション

などを提供させていただく他、

毎日忙しい素敵女子がWAIWAI盛り上がれる「フェイササイズ ・イベント」なども開催していきたいな〜と考えています。

まずは、認定MFBメンターとして、わたし個人の思いを綴ったプロフィールを載せました。

 
お読みいただければ、嬉しいです。

皆さま、どうぞよろしくお願いします。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

人生って「冒険に満ちた旅」
わたしはそう思います。

わたし自身

大学で英語を学んだわけでもない
子供二人アリ、のごく普通の専業主婦でしたが

「須藤さんの奥さん」「テルちゃんママ」「みかちゃんママ」
とだけ呼ばれる日常にサヨナラするため

34歳で一念発起。

大学院に通って英語教授法の資格を取り
39歳で晴れて大学の非常勤講師として
デビューすることができました。

その後、国際基督教大学をはじめ、
いくつかの大学で
常勤講師として英語教育に長年関わることができたのも

「ただの主婦でも、大学院に行っちゃう!」という

ワクワクする冒険の道を選べたからだと思っています。

今から27年も前。

当時、わたしはタイピングもできず
最初に取ったクラスで先生から

「このクラスが終わるまでに、タイプが打てるようになりましょう」
と言われたくらい、
ホントに何にもできませんでした。

それでも自分の情熱に突き動かされ
小学校低学年の年子を育てながら
学費を稼ぐために在宅でできる
テープ起こしに挑戦し

必死で毎日を生きていたあの頃。

今でもわたしの人生の宝物です。

 そんなわたしの経験が
少しでもお役に立てば
これほど嬉しいことは、ありません。

わたしのミッションは、

「あなたの足元の先を照らして、
人生という冒険の旅に出かける
あなたをサポートする」こと。

そして、その旅の途中で
あなただけの特別な宝物を発見していくこと。

あなたがもし
誰かに遠慮していたり

あなたの中に眠っている才能に目をつぶっていたり、

自分で描いてしまった

「どうせわたしなんて。。。」
というストーリーに捕まっているのなら

あなたの背中を
時に優しく、時に力強く
押したいって思います。

人生は冒険の旅。

素晴らしいワクワクの世界へ、さあ、一緒にでかけましょう!

 My Mission Statement

人生を楽しくワクワク生きる大人を増やすこと。
人々を無限の可能性に出会う、人生という冒険の旅へいざなうこと。
誰もが自分の力を発見し、才能を輝かせて自由に生きる世界を作り出すこと。